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劉康 (後漢) : ウィキペディア日本語版
劉康 (後漢)[りゅう こう]
劉康(りゅう こう、? - 97年)は、後漢皇族光武帝の第5子、母は郭皇后。東海恭王劉彊、沛献王劉輔の同母弟。明帝の異母弟。
39年建武15年)に済南公に封じられ、2年後に進爵して王となる。52年(建武28年)に封国に赴くが、法令を守らず食客と交遊にふけった。明帝の代に、州都に奸猾の徒である顔忠劉子産を招じ入れ、謀反を企てたかどで告発された。謀反を上奏された明帝であったが、劉康との親密な関係があったため厳罰を与えず、封地5県を減じただけで処理している。
83年建初83年)には、甥の章帝によりさらに5県を減じられている。劉康は多くの蓄財により宮廷の大改修を実施、さらに奴婢1,400人、厩馬1,200匹、私田800頃を有し奢侈な生活を送っていた。その生活は国傅である何敞により諫言されたが終生改まることはなかった。
97年永元)に薨去し、安王とされた。子の劉錯(簡王)が後を継いだ。
==参考文献==

*『後漢書』(中華書局


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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